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宗教画、芸術とわいせつの境界

昨日、一家で国立西洋美術館の常設展示を見に行った。

西洋画は、キリスト教や聖書の話に関する宗教画がメインである。
だから、宗教に関しては神道や仏教をベースにして育ってきた我々にとっては、いまいち馴染みにくいところがある。妻もそう言う。
日本でいえば「因幡の白兎」、「ヤマタノオロチ」、「国つくり神話」といったものを絵に描いているんだろう、と私は言った。




この本を美術館の売店で見つけて、購入した。
これによると、そもそも西洋で宗教画が描かれた目的は、聖書の内容を説明するためだったそうだ。
活版印刷が発明されるまで、聖書はひとつひとつ手で書き写していたので大変高価なものであり、それを読むことができる人は限られていた。
それで、庶民に聖書の内容を教え広めるために、聖書の物語を絵やステンドグラスにしてわかりやすく示していたのである。

美術のジャンルの一つであるヌードも、もともとは神様を描いていたのである。
「新人同形論」といって、古代ギリシャの神々は人間と同じ姿と感情を持っていると考えられていたのである。
最初は、男性の裸体像がつくられ、その後、アフロディテ(ヴィーナス)を端緒として女性の裸体像がつくられたそうである。
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ヌードの話で思い出した。上の話の続きでこういう話題は適切かどうか分からないが。
最近、児童ポルノ法・都青少年健全育成条例の改正案が問題になっていると聞く。

#断っておくが、当然ながら、私は子供が性欲求・性産業の犠牲になることは断じて許してはならないと考えるし、わいせつ物が児童の目につくところに氾濫する状況も避けなければならないと考える。

これらの改正案の問題点は、私の知る限り、絵画・漫画・イラスト・アニメなどの作品が規制の対象になっていることである。
あと、児童ポルノ法改正案では、児童ポルノの単純所持まで処罰の対象となっており、冤罪の可能性が懸念されている。自分の気に入らない人に、ポルノ画像を添付したメールを送って、相手が画像を削除しなかったら~削除したつもりでもハードディスクに残る可能性はある~処罰の可能性があるのだ。
ヌードが美術の一分野として確立し認知されている状況で、裸像をモチーフにした絵画などが芸術作品かわいせつ物か判断するのはかなり難しいし、かなり主観性が強くなるだろう。
極端なことを言えば、宗教画で描かれている天使たち、裸の子供が羽根をつけている姿で描かれていることが多いが、これを児童ポルノだと言いがかりをつけられる可能性もあるだろう。
こうした微妙でデリケートな判断を要することを法規制の対象として、法律・条例で明文化するのは、表現の自由に関わる重大な問題である。
漫画家のちばてつやさんや里中満智子さんが反対の表明を出したのは当然のことである。

この問題は根本は人権侵害救済法案と同様である。党派の境界を超えて、慎重に考えるべきである。

児童ポルノ法に関しては、実際に児童がポルノという形の児童虐待の犠牲になっているケースを重点的に取り締まるのが適切だろう。
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