昭和の日は靖国神社
4月29日「昭和の日」は家族で靖国神社へ行った。
「親子の集い」というイベントがあったのである。
子供達に神道や靖国神社について知ってもらおうという趣旨で行われており、拝殿での参拝、子供向けのお芝居を息子と一緒に楽しんだ。
それから、遊就館。
靖国神社にお祭りされている英霊の方々に関する資料を見学する所である。
その英霊のお一人である藤井一中尉(戦死後、少佐)について、ここで記したい
(以前、当ブログで引用した「やまと新聞」の動画で紹介されている方である)。
藤井中尉は、陸軍飛行学校の教官で、精神教育を担当していた。
そして、妻と二児をもつ父であった。
彼は自分の教えた生徒達が特攻で飛び立っていくのに、教官の自分が生き延びていくことに耐えられなくなり、自分も特攻を志願した。
だが、パイロットでない藤井中尉に特攻命令が下ることはなかった。
中尉の奥さんは夫の決意に驚き、思いとどまるよう懇願し、何度も言い争いになった。
しかし、夫の決意が固いことを悟った奥さんは、重大な決意をした。
この遺書を残し、二人の幼い娘さんと一緒に荒川に飛び込み、自決された。
その知らせを受けた藤井中尉は特攻を強く志願。
とうとうその願いは叶えられ、知覧から飛び立ち、散華されたのであった…
だから、私たちは靖国神社に参拝しなければならない。
---
民主党の政策に、靖国神社に代わる国立追悼施設、国会図書館恒久平和調査局の設立というのがある。
恒久平和調査局は、日本が戦争で行ったことを一方的に断罪するのが目的である。
これは英霊への冒涜であり、けしからん話である。
断固阻止せねばならぬ。
靖国神社について、A級戦犯合祀がよく問題にされる。
しかし、東京裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁く極めてアンフェアなものであり、戦犯判決も理不尽な内容なのである。
そして、戦犯に対しては終戦後多くの国民から釈放懇願が寄せられ、国会で、戦犯は犯罪者でない、刑死・獄中死は法務死と認定、そして、戦犯とされた方々に対しても遺族援護法の適用、恩給の支給が決められたのである(社会党(社民党の前身)も議決に賛成しているのだ)。
また、神道においては一旦合祀したものを分祀することは、絶対できない。
だから、戦犯合祀を批判するのは間違っているのである。
A級戦犯判決の不条理さについて、ひとつの例。
「たちあがれ日本」党首・平沼赳夫氏の養父は平沼騏一郎氏であり、枢密院議長であった。
彼は日米開戦直前、米国側と戦争回避のための折衝をぎりぎりまで行い、それを知った軍部にピストルで撃たれた。幸いにして、一命はとりとめた。
終戦の御前会議には平沼騏一郎氏も加わり、ポツダム宣言受諾に賛成した。
結局、徹底抗戦首長とポツダム宣言受諾が同数で二分したので、昭和天皇の御聖断を仰いで、終戦となった。
それなのに、平沼騏一郎氏は、東京裁判でA級戦犯、終身刑の判決を下された(仮釈放後に死去)。
このように、A級戦犯は理不尽なレッテルなのである。
「親子の集い」というイベントがあったのである。
子供達に神道や靖国神社について知ってもらおうという趣旨で行われており、拝殿での参拝、子供向けのお芝居を息子と一緒に楽しんだ。
それから、遊就館。
靖国神社にお祭りされている英霊の方々に関する資料を見学する所である。
その英霊のお一人である藤井一中尉(戦死後、少佐)について、ここで記したい
(以前、当ブログで引用した「やまと新聞」の動画で紹介されている方である)。
藤井中尉は、陸軍飛行学校の教官で、精神教育を担当していた。
そして、妻と二児をもつ父であった。
彼は自分の教えた生徒達が特攻で飛び立っていくのに、教官の自分が生き延びていくことに耐えられなくなり、自分も特攻を志願した。
だが、パイロットでない藤井中尉に特攻命令が下ることはなかった。
中尉の奥さんは夫の決意に驚き、思いとどまるよう懇願し、何度も言い争いになった。
しかし、夫の決意が固いことを悟った奥さんは、重大な決意をした。
私たちがいたのでは後顧の憂いとなり、存分の活躍ができないことでしょう。お先に行って待ってます。
この遺書を残し、二人の幼い娘さんと一緒に荒川に飛び込み、自決された。
その知らせを受けた藤井中尉は特攻を強く志願。
とうとうその願いは叶えられ、知覧から飛び立ち、散華されたのであった…
だから、私たちは靖国神社に参拝しなければならない。
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民主党の政策に、靖国神社に代わる国立追悼施設、国会図書館恒久平和調査局の設立というのがある。
恒久平和調査局は、日本が戦争で行ったことを一方的に断罪するのが目的である。
これは英霊への冒涜であり、けしからん話である。
断固阻止せねばならぬ。
靖国神社について、A級戦犯合祀がよく問題にされる。
しかし、東京裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁く極めてアンフェアなものであり、戦犯判決も理不尽な内容なのである。
そして、戦犯に対しては終戦後多くの国民から釈放懇願が寄せられ、国会で、戦犯は犯罪者でない、刑死・獄中死は法務死と認定、そして、戦犯とされた方々に対しても遺族援護法の適用、恩給の支給が決められたのである(社会党(社民党の前身)も議決に賛成しているのだ)。
また、神道においては一旦合祀したものを分祀することは、絶対できない。
だから、戦犯合祀を批判するのは間違っているのである。
A級戦犯判決の不条理さについて、ひとつの例。
「たちあがれ日本」党首・平沼赳夫氏の養父は平沼騏一郎氏であり、枢密院議長であった。
彼は日米開戦直前、米国側と戦争回避のための折衝をぎりぎりまで行い、それを知った軍部にピストルで撃たれた。幸いにして、一命はとりとめた。
終戦の御前会議には平沼騏一郎氏も加わり、ポツダム宣言受諾に賛成した。
結局、徹底抗戦首長とポツダム宣言受諾が同数で二分したので、昭和天皇の御聖断を仰いで、終戦となった。
それなのに、平沼騏一郎氏は、東京裁判でA級戦犯、終身刑の判決を下された(仮釈放後に死去)。
このように、A級戦犯は理不尽なレッテルなのである。
2010-04-30 00:05
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