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教育勅語を書写した

面白くないニュースばかりである。

国は領海侵犯した外国の漁師を(ほんとうに漁師か?)外国の脅しに脆くも屈して、理不尽に釈放する(検察独自の判断とは思えないよなあ)。その漁師は帰国したら英雄扱い(怒)。
世間を見れば、老いた親が亡くなっても葬式を挙げず部屋に放置して、年金だけは役所からガメる不届き者がいる。
どうして、こんな世の中になってしまったんだろう?

世の中が乱れるのは、社会が規範とするものを失って、根無し草みたいになったからかもしれない。
ならば、何を社会の規範とすればいいのだろう…
…で、以前のブログにも書いたが、今年は教育勅語煥発120周年であることを知った。
教育勅語は、国際化の荒波の中に漕ぎ出した明治日本において、日本人が大切にすべきことを示されたものである。
その内容は、親孝行せよ、家族仲良くせよ、友達同士信頼し合おう、勉学に励もう…と、すべて現代日本にも当てはまることではないか。

明治神宮では、教育勅語120周年を記念して、「教育勅語を書いてみましょう」という特設サイトを設けている。
http://www.meijijingu.or.jp/kyouikuchokugo/pc/index.html
このサイトのことも以前のブログで記したが、今日、この教育勅語書写を実行した。

ホームページにある書写用教育勅語PDFをダウンロードして、プリント。
まず、ホームページに記してあるように、手を清めて口をすすぐ。
そして、願い事を書く。
私は、「日本の独立と平和」と記した。
そして、薄くプリントしてある勅語をペン・鉛筆あるいは毛筆でなぞって書く。
最近、文章を書くのはもっぱらパソコンなので、これだけの分量の文章を、しかも縦書きで手書きするのは久しぶりである。
これは結構時間がかかる。
最後の「御名御璽」に到達したときは、思わずほっと息をついた。

chokugo_800.jpg

それから、教育勅語を音読する。
音読。
学校の国語の授業以来やっていない。久しぶり。
だから、最初の「朕惟ふに我が皇祖皇宗…」のところでは少し気恥ずかしさが混じったが、読み進むうちになんだかリズムがついてきて、調子が出てきた。
昔の文章はうまく出来ているなあ。
齋藤孝さんの「声に出して読みたい日本語」というの、分かるような気がした。

書写した教育勅語、明治神宮崇敬会に送ると御神前に奉奠して頂けるそうである。
そして、携行用教育勅語というありがたいプレゼントも頂けるとのこと(郵送用90円切手を同封)。
さっそく、明日おくることにしよう。
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