キセル自慢について
昔の話になるが、私が学生のとき嫌だったことのひとつが、電車をキセル乗車したという武勇伝(?)を聞かされることであった。
いまは自動改札機がかなり普及してきので、その手の話は聞かなくなったが。
それはともかく、キセル乗車してどれだけ交通費を浮かせたかという話、さらには、まともな運賃を払う者をバカ呼ばわりする者もいて、すごく不愉快だった。
新幹線にしろ近所の通勤路線にしろ、当たり前のように毎日走っているが、この世が始まった時から鉄道があったわけではない。
イギリスの鉄道技術の見よう見まねで明治5年に新橋・横浜間に鉄道を開通させ、その後少しずつ日本列島に鉄道網を広げていった。並行して、お雇い外国人の手から離れて、日本人の手で機関車をつくるようになった。
そうして、多くの先達が一生懸命になって鉄道インフラをつくりあげ、それを現在多くの人達が維持し改良し続けている。
そうやってできた鉄道であるから、運賃という対価を払うのは当然である。
それが嫌なら歩いて行けと言いたい。
日本の交通インフラがどれだけ日本人の生活を豊かにしているか、考えてほしい。
テレビの旅番組などでよく見るが、発展途上国に行くと、鉄道はなく、主要な交通手段がおんぼろのマイクロバスだけである。
そして、そんなバスに乗って、舗装されていない悪路を何時間も揺られて行くのである。
正規の鉄道運賃を払うのが嫌な者は、こういう環境で暮らしてみればどうだ?
さらに、上に記したことは、「コンクリートから人へ」というひと頃はやったスローガンがいかに浅はかなものであるかを示している。
コンクリートも人も大事なのである。
いまは自動改札機がかなり普及してきので、その手の話は聞かなくなったが。
それはともかく、キセル乗車してどれだけ交通費を浮かせたかという話、さらには、まともな運賃を払う者をバカ呼ばわりする者もいて、すごく不愉快だった。
新幹線にしろ近所の通勤路線にしろ、当たり前のように毎日走っているが、この世が始まった時から鉄道があったわけではない。
イギリスの鉄道技術の見よう見まねで明治5年に新橋・横浜間に鉄道を開通させ、その後少しずつ日本列島に鉄道網を広げていった。並行して、お雇い外国人の手から離れて、日本人の手で機関車をつくるようになった。
そうして、多くの先達が一生懸命になって鉄道インフラをつくりあげ、それを現在多くの人達が維持し改良し続けている。
そうやってできた鉄道であるから、運賃という対価を払うのは当然である。
それが嫌なら歩いて行けと言いたい。
日本の交通インフラがどれだけ日本人の生活を豊かにしているか、考えてほしい。
テレビの旅番組などでよく見るが、発展途上国に行くと、鉄道はなく、主要な交通手段がおんぼろのマイクロバスだけである。
そして、そんなバスに乗って、舗装されていない悪路を何時間も揺られて行くのである。
正規の鉄道運賃を払うのが嫌な者は、こういう環境で暮らしてみればどうだ?
さらに、上に記したことは、「コンクリートから人へ」というひと頃はやったスローガンがいかに浅はかなものであるかを示している。
コンクリートも人も大事なのである。
2014-08-16 15:14
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